二人前
コンビニにて。
ひとりで暴飲暴食をしたいがために買った2パックの餃子。
リスク回避を目的とした単なるマニュアル対応でしかないのだとは思うが、
割り箸が2膳入っていることで、勝手に少し救われた。
もしあのときのレジ前の自分が、待っている誰かのために、
雨の中二人分の餃子を買っているように見えていたのだとしたら、
まだ大丈夫な気がする。
随分と久しぶりに、「人の悩みを聞きたい」と思った。
かつては自分が悩んでいるときほど、
人の悩みを聞きたいと思っていたような気がする。
自分が悩んでいるときに人の悩みを聞きたがる理由はおそらく次の3つだ。
・相手に信頼され、相手の役に立てていると思える
・人の悩みに比べて自分の悩みは小さいと思える
・人の悩みに接したときの客観的な視点を、
そのまま自分の悩みへの洞察に持ち込める
あの頃は都合よくというべきか、自分が何か悩んでいるタイミングで、
ありがたいことに相談を持ちかけてもらえていたことを思い出す。
相談してくれる人に自分自身が救われていた。
最近はなにかこう、結果報告や決意表明にしか立ち会えていないような感覚がある。
みんな大人になって、悩みとの折り合いをつけるのが上手くなったのだろうか?
悩みを打ち明けてくれるような友人が離れていってしまったのだろうか?
悩みを打ち明けてくれるような友人から、自分が離れてしまったのだろうか?
あるいは、人の悩みを悩みと思えないほどに、
自分の中の何かが鈍麻してしまったのだろうか?