回収

すっぱいブドウ
the cabsが復活した……らしい。
実際に自分の目で見たわけではないから、まだそうとは言い切れない。今日2025/8/4の復活ライブ、私は観ることがかなわなかった。
私は思慮の足りない十代を過ごしたゆえ、自我が芽生えたのは二十代になってからだと自認している。解散前に彼らを知り、観ることはニアミスで間に合わなかったが、彼らが解散した年の秋に、友人から彼らを教えてもらって以降、二十代の、人より遅れた人格形成期において、多大な影響をもたらしてくれたのがthe cabsだった。
NUMBER GIRLの再結成にあたっては「俺より待ち望んだ人がいるはずだから」という妙なメタ意識から来る遠慮があったのだが、the cabsのチケット申し込みにあたっては、繰り返すが"ただのチケット申し込み"にもかかわらず、ちょっと自分でも心配になるぐらいの気負いがあったように思う。
たいていの場合、気負うとうまくいかない。今日の復活ライブも含め、複数公演の複数回の抽選応募にことごとく外れた。また生活の諸々に取り紛れているあいだに、一般販売が始まり、そして終わっているということもあった。
すっぱいブドウもここまで来ると重症なのだが、観たかったのに観られなかったこの心の空虚さこそが、彼らの音楽の本質なのではないかとさえ思う。そしてそのように捉えたいという祈りもまた。
しかしながらなんとなく、抽選が外れたことも、一般発売を見逃していたことも、自分のなかでは当然の結果だと感じている節がある。この件に限らず、本当に自分が大切にしたいものが、溢れるノイズに埋もれてしまっていると感じることが最近少なくない。そしてそれらのノイズを取り除いていくことが今の自分にとってもっとも必要な事柄のひとつであることにも気付いている。この無念が教訓になればいい。



調和と共存
少し前に3回目のコロナワクチンを打ったときのこと。
その頃はまだ少し寒いぐらいの穏やかな季節で、よく晴れた平日の午前中に半年休をとってワクチンを打った。午後からは在宅勤務で働いたが、もともと逼迫したタスクの残り具合だったことに加えて急遽ねじこんだ半年休だったこともあり、少しばかり遅い時間まで働いていた。勤務終了後はワクチンの副反応がいつ出るかもわからなかったこともあり、急いで食事や入浴を済ませ、22時頃には寝床についていたように記憶している。注射を打たれた腕にほのかな痛みを感じる以外はいたって体調も良好で、そのまま副反応の辛さを感じる前に入眠できるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間、22時過ぎから徐々に倦怠感が強くなって入眠は失敗に終わり、23時半を回ったあたりで強烈な悪寒とともに体温は39度近くまで上昇。どれだけ厚着をしようと、どれだけ真冬の寝具を引っ張り出してきて身体に重ねようと、歯がガタガタ震えるのを止めることはできなかった。
正常な判断能力を失いつつあるなか、しかしそこではたと気づくことがあった。それは「身体がこの副反応を、あるいはその源泉たるワクチンを異物として拒否しているから辛いのではないか」「であるならば『調和』『共存』、そのような概念を想起してみてはどうか」「つまりはワクチンを身体の奥まで、身体の隅々まで行き渡らせ、しかしながらそれに飲まれる事は決して無く、懐深く受け入れることをイメージしてはどうか」といったものであった。そのようなことを意識して呼吸を深くしたら、けたたましく歯を鳴らすような悪寒も随分と和らいだ気がしたし、その後穏やかに眠ることができたような記憶がある。
思えば、2020年にこのパンデミックが発生した時から、大小様々な境界を作ることに、世界の誰もが、そして自分自身も躍起になっていたような気がする。国同士の行き来が封じられ、県境をまたぐ移動も制限されて故郷にも帰れなくなった。自分の生活の半径に目を遣っても、マスク、手指のアルコール消毒、ソーシャルディスタンス、アクリルのパーテーションと、有形無形の壁をいくつも作り、ウイルスを繁殖させないことが生活の目的かつ手段になった。もちろん、じゃあ今からマスクをやめようだとか、何も考えずに生活しようと言うことでは全くない。けれども、サイエンス・フィクションにおいて無菌室に住んでいる登場人物が貧弱になっていくように、徹底的に境界線を引き、自他を峻別していく生き方はやがて何らかのかたちで破綻を迎えるような気がしている。
境界は曖昧に、何かは私の中に、私は何かの中に、共存し調和していくことが自然本来なのではないかと思う。時間はかかるかもしれないが、世界が、あるいは変わったあとの世界のなかにおいても自分は、そのような外部との関わり方を持てるように戻っていきたい。眠れるような、しかし眠るには少々しんどいようなワクチンの副反応のなかで、まどろみながらそんなことを考えていた。

リネンコットンマスク

蒙
4月が終わる。「花見は来年だね」だなんて昨年言っていたことさえも実感が持てなくなるぐらい、かつては良くも悪くも興奮をもたらしていた感染症の災禍も、緩慢な不幸として日常に溶け込んでしまった。
神田にとある小さな公園がある。日差しは届くのにどこか辛気臭い影がへばりついていて、その狭さと相まって不思議な安心感をもたらしてくれる場所だ。そしてその公園には一本のソメイヨシノが植わっている。ただその桜は、その存在感で空間を支配するような巨木でもなければ、生命の灯火を感じさせるような若木でもない。大きくも小さくもない、本当に凡庸な桜である。狭くて妙に陰鬱な公園、そこから北西の方向を見上げると、これということのないソメイヨシノ越しに、公園の暗さに一役買っているビルの影と、対象的に抜けるような青空が一緒に視界に収まる。僕はこの何の変哲もない、しかし絶妙なバランスで成り立っている光景が好きだった。
今となってはもうこの光景を見ることはできない。隣に神田警察署の新庁舎が建設されて空は塞がれてしまい、またその際に桜の枝もいくばくか伐採されてしまったからだ。警察署の竣工自体は最近のことだが、この光景が失われたのは工期の途中で、それからもう2年ほど経っているはずだ。
この1年で"変化"が大きく取り沙汰されるようになった。たしかに、変わった人、変えられざるを得なかった人の数は多かっただろうし、その変わり方もまた尋常でなかっただろう。それらが些細なことだとは毛頭思っていない。しかし、変化は僕たちがこれまでも見過ごしてきた生活のなかに常にあって、これからもまたあり続けるものだ。それを無責任にある種の娯楽として消費する姿勢は、やがて手痛いしっぺ返しを招くものであるように感じている。

第三の"憶えていない"について
手放せば

