回収

10月13日月曜日。ARIAの20周年コンサートをパシフィコ横浜 国立大ホールへ観に行ってきた。
 
自分にとって半ば幻の存在だったNinoが実在したこともそうだし、牧野由依×窪田ミナの初期オープニング曲たちを聴けたこともそうだったんだけれど、特に牧野由依ROUND TABLE北川勝利が同じステージに立って楽曲を演奏したということが、自分にとって完全なる青春の回収だった。
牧野由依×窪田ミナ+杉野裕ストリングスのセクションの最後の曲、歌い終わった牧野由依が先に捌けて、アウトロも終わって窪田ミナも杉野裕ストリングスも捌けて暗転。転換ムービー中にROUND TABLEバンドが出てきたことはシルエットで分かっていたんだけれど、明転の瞬間、さっきまで窪田ミナが弾いてたピアノに牧野由依が座っていること、そこから発せられた歌とピアノの一音目がシンフォニーのものであること、そして当然それは牧野由依ROUND TABLEが同じステージに立って演奏していること、が同時に分かったときは、歓喜とも郷愁とも形容しがたい感動で鳥肌が立った。
 
また、アーティストや声優陣がそれぞれ作品への思いを語るなか、斎藤千和の四つ葉のクローバーのMCが特に心に残った。ご自身の演じた藍華が、灯里やアリスとの才能の差に落ち込むも、晃の過去 (同じくライバルとの才能の差を前にして、縋るように探した四つ葉と、その様子を見ていた当時幼い藍華自身が掛けた「無いなら付け足せばいい」という言葉と、薔薇の花びらを加えて完成した四つ葉のクローバーの話) を聞き、思い出のクローバーを胸に再び前を向く回の話。作品のそのエピソードを引き合いに、才能あふれるアーティストたちと肩を並べて作品の音楽を歌っていかないといけないご自身を愛華に重ねていた過去もあったが、その彼らアーティストたちもまた、それぞれの薔薇の花びらを見つけてクローバーを四つ葉にしていったんだと気付いたこと、であるならば、ご自身はご自身にしかできないやり方で、作品への思いと作品のファンの方への感謝を伝えるしかないというMCだった。そのあとに歌われた髪とヘアピンと私には、確かに込められた思いがあった。
自分自身の置かれた状況に重ねてこのMCを聞いた人も多かったと思う。私もその一人だ。そして、これほどまでに演じたキャラクターをご自身に重ねて考えてくれる声優がついてくれたキャラクターも幸せなものだと思う。戦場ヶ原のstaple stableも、いつかこんな風に聴いてみたい。
 
山に囲まれた田舎で暮らし、テレ東系列の電波が入らなかったからARIAのアニメ本編は観ていないのに、その楽曲は擦り切れるほど聴いていた当時の自分に教えてあげたい。
「お前、19年後に横浜の海に面した超デカいホールで、窪田ミナ牧野由依ROUND TABLE featuring Ninoも生で観ることになるよ」って。
 

 

すっぱいブドウ

the cabsが復活した……らしい。

実際に自分の目で見たわけではないから、まだそうとは言い切れない。今日2025/8/4の復活ライブ、私は観ることがかなわなかった。

 

私は思慮の足りない十代を過ごしたゆえ、自我が芽生えたのは二十代になってからだと自認している。解散前に彼らを知り、観ることはニアミスで間に合わなかったが、彼らが解散した年の秋に、友人から彼らを教えてもらって以降、二十代の、人より遅れた人格形成期において、多大な影響をもたらしてくれたのがthe cabsだった。

 

NUMBER GIRLの再結成にあたっては「俺より待ち望んだ人がいるはずだから」という妙なメタ意識から来る遠慮があったのだが、the cabsのチケット申し込みにあたっては、繰り返すが"ただのチケット申し込み"にもかかわらず、ちょっと自分でも心配になるぐらいの気負いがあったように思う。

たいていの場合、気負うとうまくいかない。今日の復活ライブも含め、複数公演の複数回の抽選応募にことごとく外れた。また生活の諸々に取り紛れているあいだに、一般販売が始まり、そして終わっているということもあった。

 

すっぱいブドウもここまで来ると重症なのだが、観たかったのに観られなかったこの心の空虚さこそが、彼らの音楽の本質なのではないかとさえ思う。そしてそのように捉えたいという祈りもまた。

 

しかしながらなんとなく、抽選が外れたことも、一般発売を見逃していたことも、自分のなかでは当然の結果だと感じている節がある。この件に限らず、本当に自分が大切にしたいものが、溢れるノイズに埋もれてしまっていると感じることが最近少なくない。そしてそれらのノイズを取り除いていくことが今の自分にとってもっとも必要な事柄のひとつであることにも気付いている。この無念が教訓になればいい。

 

何を望んでなのかは自分でもわからないが会場にまで行き

スタンド富士で酒を飲み

langを聴いて帰った

 

調和と共存

少し前に3回目のコロナワクチンを打ったときのこと。

 

その頃はまだ少し寒いぐらいの穏やかな季節で、よく晴れた平日の午前中に半年休をとってワクチンを打った。午後からは在宅勤務で働いたが、もともと逼迫したタスクの残り具合だったことに加えて急遽ねじこんだ半年休だったこともあり、少しばかり遅い時間まで働いていた。勤務終了後はワクチンの副反応がいつ出るかもわからなかったこともあり、急いで食事や入浴を済ませ、22時頃には寝床についていたように記憶している。注射を打たれた腕にほのかな痛みを感じる以外はいたって体調も良好で、そのまま副反応の辛さを感じる前に入眠できるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間、22時過ぎから徐々に倦怠感が強くなって入眠は失敗に終わり、23時半を回ったあたりで強烈な悪寒とともに体温は39度近くまで上昇。どれだけ厚着をしようと、どれだけ真冬の寝具を引っ張り出してきて身体に重ねようと、歯がガタガタ震えるのを止めることはできなかった。

 

正常な判断能力を失いつつあるなか、しかしそこではたと気づくことがあった。それは「身体がこの副反応を、あるいはその源泉たるワクチンを異物として拒否しているから辛いのではないか」「であるならば『調和』『共存』、そのような概念を想起してみてはどうか」「つまりはワクチンを身体の奥まで、身体の隅々まで行き渡らせ、しかしながらそれに飲まれる事は決して無く、懐深く受け入れることをイメージしてはどうか」といったものであった。そのようなことを意識して呼吸を深くしたら、けたたましく歯を鳴らすような悪寒も随分と和らいだ気がしたし、その後穏やかに眠ることができたような記憶がある。

 

思えば、2020年にこのパンデミックが発生した時から、大小様々な境界を作ることに、世界の誰もが、そして自分自身も躍起になっていたような気がする。国同士の行き来が封じられ、県境をまたぐ移動も制限されて故郷にも帰れなくなった。自分の生活の半径に目を遣っても、マスク、手指のアルコール消毒、ソーシャルディスタンス、アクリルのパーテーションと、有形無形の壁をいくつも作り、ウイルスを繁殖させないことが生活の目的かつ手段になった。もちろん、じゃあ今からマスクをやめようだとか、何も考えずに生活しようと言うことでは全くない。けれども、サイエンス・フィクションにおいて無菌室に住んでいる登場人物が貧弱になっていくように、徹底的に境界線を引き、自他を峻別していく生き方はやがて何らかのかたちで破綻を迎えるような気がしている。

 

境界は曖昧に、何かは私の中に、私は何かの中に、共存し調和していくことが自然本来なのではないかと思う。時間はかかるかもしれないが、世界が、あるいは変わったあとの世界のなかにおいても自分は、そのような外部との関わり方を持てるように戻っていきたい。眠れるような、しかし眠るには少々しんどいようなワクチンの副反応のなかで、まどろみながらそんなことを考えていた。

 

 

リネンコットンマスク

昨年の初夏に買ったUNDECORATEDのマスク。1年に設定していたその償却期間が終わった。コード付きのセットと袋付きのセット、計2枚で7,700円。割高ではあったが、閉塞感のある日々に少しでも彩りを添えようと購入した。最近はもうお役御免となっていながらも、月々計上していた642円の費用。その費用が今月よりなくなる。こいつを買ったとき、来年の夏にはもうマスクなどしなくてもよくなっているだろうと、事態を楽観視していたような記憶もあるし、あるいは、どうか来年の夏には収まっていてくれと祈るような気持ちで定めた償却期間であったようにも思う。
 
8月9日は祝日だった。土曜からの3連休だということを直前の金曜に知って面食らった。唐突に現れた3連休にというよりも、祝日だということを直前まで把握していなかった自分自身に対して。働き始めてからこの方、こういった不注意は今まで無かった。常に充実した休日を過ごすような質でもないが、それでも学生時代に比べると著しく減った貴重な余暇を、何らかの予定に充てるか無為に過ごすかは、それなりに計画立ててやってきていた。仕事においても職業柄、先のことまで道筋を立てて計画を練る必要があるが、ここ最近どうもその感覚が鈍麻してきているような気がする。
 
来年の夏はどうなっているだろうか。1ヶ月後はどうなっているだろうか。1週間後は。
 
まとまりきらぬ思考が鉛のように、頭へ脚へとまとわりつく。もがくあいだにも時間は過ぎてゆく。
 

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4月が終わる。「花見は来年だね」だなんて昨年言っていたことさえも実感が持てなくなるぐらい、かつては良くも悪くも興奮をもたらしていた感染症の災禍も、緩慢な不幸として日常に溶け込んでしまった。

 

神田にとある小さな公園がある。日差しは届くのにどこか辛気臭い影がへばりついていて、その狭さと相まって不思議な安心感をもたらしてくれる場所だ。そしてその公園には一本のソメイヨシノが植わっている。ただその桜は、その存在感で空間を支配するような巨木でもなければ、生命の灯火を感じさせるような若木でもない。大きくも小さくもない、本当に凡庸な桜である。狭くて妙に陰鬱な公園、そこから北西の方向を見上げると、これということのないソメイヨシノ越しに、公園の暗さに一役買っているビルの影と、対象的に抜けるような青空が一緒に視界に収まる。僕はこの何の変哲もない、しかし絶妙なバランスで成り立っている光景が好きだった。

 

今となってはもうこの光景を見ることはできない。隣に神田警察署の新庁舎が建設されて空は塞がれてしまい、またその際に桜の枝もいくばくか伐採されてしまったからだ。警察署の竣工自体は最近のことだが、この光景が失われたのは工期の途中で、それからもう2年ほど経っているはずだ。

 

この1年で"変化"が大きく取り沙汰されるようになった。たしかに、変わった人、変えられざるを得なかった人の数は多かっただろうし、その変わり方もまた尋常でなかっただろう。それらが些細なことだとは毛頭思っていない。しかし、変化は僕たちがこれまでも見過ごしてきた生活のなかに常にあって、これからもまたあり続けるものだ。それを無責任にある種の娯楽として消費する姿勢は、やがて手痛いしっぺ返しを招くものであるように感じている。

 

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第三の"憶えていない"について

10日前の日曜は14時から24時までオンラインでずっと飲んでいた。18時頃までは5人でお絵かきクイズをして遊び、その5人の内2人を占める夫婦が子供の入浴のために抜けてからは、残った3人で色んな話をした。……色んな話をしたように思う。
 
わざわざ記述しなおしたのは、とりもなおさずその夜のことをあまりよく憶えていないからだ。そしてこの"憶えていない"、普段の"憶えていない"とは違う妙な質感を持っていて、この数日間はその正体について考えるでもなく考えていた。
 
まず、その正体は"記憶を飛ばす"ではない。たしかにあの日は相当な量の酒を飲んでいた。しかしあの日の"憶えていない"は、記憶を飛ばしたときの、一定区画の記憶がスコーンと抜けているような類のものではなかった。会話の温度感や手触りは確かに実感として今も残っている。
 
次に、"記憶に定着しない"とも違う。日々のどうでもいいような記憶はどんどん抹消されていくが、あの日の会話は、funやfunnyの意味でもinterestingの意味でもとても面白かったから、記憶に定着するためのフックは十分すぎるほど備わっていたはずである。また、近い感覚でいえば、生産性皆無の会話が繰り広げられる会合なんかは「何喋ったか憶えてないけどめっちゃ楽しかった」と、その重要性の乏しさゆえ、意味的価値が削ぎ落とされた状態で記憶に留まるが、あの日の楽しさはやはりfun/funnyだけのものではなかったから、「意味的価値のみが削ぎ落とされた」という意味での、広義の"記憶に定着しない"とも違う。
 
ならばあの日の"憶えていない"を表現する言葉はなにか?きっとそれは"記憶の圧縮"だと思う。マラソンにしろ勉強にしろアルコール摂取にしろ、なにごともキャパとペース配分というものからは逃れられない。あの日10時間ぶっとおしで面白かった/楽しかったという感情的・理性的情報の洪水を、しかも相当量のアルコールをぶち込まれた脳髄で処理するのはあまりに荷が重すぎた。結果、著しく解像度を落とした状態で脳に格納したといった具合だ。我ながらこの"圧縮"という表現がしっくりきているのは、後から当事者同士で「だってあのときさ〜」などと"解凍"のトリガーが引かれたときには、みるみる記憶が蘇る手応えしかないからである。
 
思い返せば、頻度はそう多くないが、この日以外にも"記憶の圧縮"は折にふれて発生している。「情報量多い・ガッツリ飲酒・でもひとときも忘れたくない」の三拍子でいえば、フジロックの参加者なんかは結構その会期中の"記憶の圧縮"を体験している人も多いのではなかろうか。
 
しかしまあ、留めておきたい記憶が多すぎるがゆえに、それらの記憶の全体にモヤがかかるというのは少々皮肉でもある。それだけ留めておきたい記憶は、おそらく細部にこそその真髄が宿っているだろうからだ。とはいえ、記憶は忘却を挟みつつも堆積していくものである。アナロジーと見せかけての牽強付会甚だしいが、地層における化石燃料よろしく、圧縮された記憶は、他の記憶によるさらなる圧縮と分離を受けて、時を経たあとに違うかたちで気づきをもたらしてくれるのではないか。そんなことをほのかに期待していたりもする。
 

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相当数が"記憶の圧縮"に遭っているだろうと想定される人々@フジロックOASISエリア



手放せば

12月は違和感の月だった。
久しぶりに変えた髪型に始まり、そのセットの仕方や使う整髪剤の選定に四苦八苦したり、初めての人と会う機会が多かったり。満を持して買った洋服が微妙にイメージと違ったり、それのサイズ違いを手配してもやっぱり合わなかったり。家の生活動線にさえ違和感を覚えるようになり、家事もいつもより時間が掛かったり、そもそも手に付かなかったりもした。
 
 
 
そんな日々のなか、先述したように初めての人と会う機会も多かったのだけれど、そのなかでとても不思議な方と出会った。すべてを受け入れる柔軟性を持った人。あるいは語弊を恐れずにいえば、すべてを飲み込んでしまうブラックホールのような人。
 
僕は安直なカテゴライズで人をラベリングすることが、あるいは「分断することが」と表現してもいいかもしれない、人を識別するそういう方法論が好きではない。しかし矛盾するようだが、人と関わっていくとき、その人を知ろうとするときに、僕は類推を多用する。その人のプロフィールや佇まい、受け答えの内容、その仕方を、今まで出会った実在/非実在の人物と照合しながら、「こういうところは似ているかも」「ここは違うと思う」というふうに判定しながら、その人の人物像を自分なりにあぶりだしていく。会話は、照射した光線が反射して、何色の光が返ってくるのかを確かめることに似ている部分がある。十数年、数十年生きてきた人は、たとえどれだけ無垢な人でも、ものごとの受け取り方にやはり何らかの癖があるからだ。
 
しかし、その人はすべてを柔らかく受け容れる人だった。照射した光線がすべて吸収されて、返ってきたものが目に見えない。僕は焦った。見透かされているような気がしたからだ。先述したように、僕は安直なカテゴライズで人をラベリングすることが好きではない。だから、人となりを類推していくなかでも「あーなるほどこういう人ね」と途中でわかった気になって止めてしまうことのないよう、常日頃から自分を戒めているようにしている。止めてしまった時点でそれはカテゴライズになるからだ。大小さまざまな似ている/似ていないの先にある、その人の固有性にたどり着くまでこの営みは止めてはいけない。したがってそれはつまり、その営みはずっと続くということでもある。その人の本当の固有性になど、他人がたどり着くことは不可能だからだ。しかしながら、気がつくと疑念は常に傍らにいる。結局カテゴライズしている連中と自分は同じ穴のムジナなのではないか?この疑念をその人に見透かされたような心持ちになった。
 
実際多分、その人は僕の自家撞着に気づいたのだと思う。でもそれは、その人にとっては「見透かした」のではなく「受け取った」に過ぎないのだと思う。「嘘つきはいけない」という一般論を諭されている場でばつが悪いのは嘘つきだけであるのと同じで、「見透かされた」と感じているのは僕だけなのだろう。
 
ではその人は能天気なのか?いやいやそうではない。ちゃんと視ている。ちゃんと解っている。ならばその人はどうやって解っているのだろう?しかも僕とは違うやり方で。その人のもう一つのキーワードは「執着のなさ」にあるように思う。力みがまったくない。眼前にあるものをそのまま受け容れる感覚なのだろうか?「解る」という感覚さえも手放しているように思えた。そういうと「無知の知」を想起するが、禅問答のようだけれど、「無知の知」さえも手放す感覚なのかもしれない。
 
 
 
そんなことを考えながら引き続き違和感だらけの師走を駆け抜けた。違和感と自分が心地よいと思うこととのズレ、そこを埋めようと小さな抗いを重ねた日々。ふと唐突に、それらを全部飲み込んで「まあなんでもいいか」と思うに至ったら、最後の最後、その開けた懐にすっと光が飛び込んできた。
 
何年か前の年末にも「もっと身軽になりたい」というようなことを書いたように思う。来年は触れるものが今まで以上に増えるだろう。しかしそれでも今よりももっと身軽に"なれる"。そんな確信めいた予感がある。まだまだやれる。
 

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